先日、ANONYMでは「心の庭を歩こう - コーヒー片手に自分と向き合うライティングワークショップ」を開催しました。このワークショップで参加者のみなさんが執筆された作品をご紹介します。今回は、ayanさんによる創作エッセイ「自分の外側と内側が溶けあう庭」です。
自分の外側と内側が溶けあう庭
ayan
冷たくて硬い砂利の上を歩いていたはずなのに、突然肉球がふわりとした柔らかいものを感じた。ふかふかとした絨毯のような苔。軽く前足を乗せたときはさらっとした感触なのに、踏みしめると奥の方からじゅわりと水がしみ出てくる。昨夜から降り続いていた雨をたくわえているんだろう。
歩みを進めると葉っぱのトンネルが現れた。数えきれないほどたくさんの葉が折り重なるようにして作られている空間。世界に一つだけの、僕のためだけに用意された通路みたい。
いったい、どこに通じているんだろう?
僕が通ると枝がしなり、その枝が反動で戻るときに何枚かの葉が音もなく落ちた。気づかないほど小さな変化だけれど、僕が通る前と後とでは、空間の輪郭が変わっている。
この庭は僕にはとても広くて、どこまで行っても終わりがないみたいに感じる。もちろん、本当はそうじゃないって知ってるけれど、ときどき、この庭がどこか別の庭とつながっているんじゃないかって気がするんだ。
庭石の窪みに水がたまっていた。昨日、空の高いところから落ちてきた水が、今は地面に近いところでその表面に青空を映している。
直接空を見ようと顔を上にあげると、向こうの緑のグラデーションの中に、なにか黒いかたまりがあるのに気づいた。あれは何だろう?
近づいてみると、ミャウミャウとか細い鳴き声が聞こえた。子猫だ! 子猫が木の上から降りられなくなっているんだ。怯えて、縮こまっているみたい。
いつからそこにいたんだろう。もしかして昨日から? 雨が降る夜にひとりぼっちで怖かっただろうに。もう大丈夫、僕が咥えて木から降ろしてあげる。
トトト……ッ。ほら、地面に足がついたでしょ。
この世界は果てしなく広くて、ときおり自分のいる場所がわからなくなるけれど、地面に足がついてさえいれば大丈夫。木の上から見えた世界と、地面にくっついた状態で見える世界はちょっと違うと思わない?
目に映っていても、見えていないものってたくさんあるんだよ。人間たちはよくこの庭を眺めにくるけれど、縁側からこちらに目を向けるだけで、葉っぱのトンネルの色や形も、虫や鳥たちのことも、ちっとも見えていないんだ。
何かを知っているということと、自分で感じとるっていうのはまるきり違う。感じとるっていうのは、「目の前にあるもの」と「自分の中にあるもの」とを溶け合わせる行為だから。
ねえ、あっちに僕のとっておきの場所があるんだ、いっしょに見にいこう。きみの目で見た世界がどんなふうか、僕に教えてくれる?
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ワークショップ「心の庭を歩こう」当日の様子を写真とともに振り返るレポート記事を公開しています。こちらも、ぜひご覧ください。
ワークショップイベント「心の庭を歩こう」レポートhttps://anonym.kyoto/blogs/journal/workshop-report-20240629