おばけとよふかし

千葉集

TOKIアンソロジー最終作。夜の闇ときらめきを表現したブレンド「22:12 starry spice」から着想を得た物語。昼にしか姿を見せられない幽霊は、月を見たいと願う。スターバックスの半地下で重ねる対話と、ある夜の小さな奇跡を描く。

「月を見たことがないんです」と幽霊はいう。「なぜって、わたしは昼にしかおられないから。陽がしずみだすとだんだんねむくなってきて、意識が、ふつっ、と途絶える。めざめると⋯⋯もうヒヨドリの鳴くころあいです。光ばかり。夜なんて眠るときの昏さとかわりないよ、とあなたはおっしゃいます。でも、わたしも夜が見たい。夜を見ている自分が知りたい。だめですか」

 だめではない。ないのだけれど、幽霊のからだが昼行性にできている以上、わたしにはどうすることもできないのだった。

 幽霊とわたしは、三条大橋のスターバックスで会う。五時半から日没まで。半地下になっているフロアの鴨川側、出入り口から一番遠い席に座る。川面の返す西陽がおだやかな心地よい席だ。こだわりというわけではない。幽霊いわく、幽霊は場所に憑くものだから、しかたなく席を固定している。

 毎回、わたしはダージリンティーを注文し、幽霊はカフェラテを頼む。スターバックスではカフェラテをカフェラテと呼ばず、「スターバックスラテ」と呼ぶのだが、幽霊は注文を代行するわたしにいつも「カフェラテを」という。

 どうかとおもう。「スターバックスがスターバックスラテと呼んでほしくてそう表記してあるのだから、スターバックスラテと呼んであげなさい」となんども注意するのだけれど、幽霊は肯んじない。

 一度だけ試しに「スターバックスラテ」ではなく、「カフェラテ」でオーダーした。黙って幽霊に渡したあと、しばらくして、「味はどう? いつもと違わない?」とせっついてみたのだけれど、幽霊は微動だにしなかった。

 もっとも幽霊の反応は、なにかにつけ、わかりづらい。幽霊は大きな一枚の布をかぶっている。しかし、のぞき穴があいてない。布がふちどる輪郭から、ヒトのかたちをしたなにかが中にいるとはわかる。でも、それだけだ。みぶりてぶりはできても、こちらから幽霊の微細な表情を看て取ることはできない。

 それは、あちらもおなじことのようだった。布におおわれた幽霊の視界には、わたしを含めた外界はぼんやりとした影としか映らないようで、話している最中もしょっちゅう明後日のほうを向く。そんなたよりない視力では、仮に夜までいられたとしても、月など見えないだろう。

「夜も昼も変わらない」とわたしはなぐさめる。

 幽霊は凝然とする。ふきげんそうに見えるけれど、断言はできない。きげんが良かろうがわるかろうが、よくこんなふうにだんまりになってしまう。

 幽霊の布から突起のようなものがもりあがって、その角がスターバックスラテの紙コップをつかむ。そのまま、布越しに口のあたりへ注ぐ。ラテの茶色い染みが、幽霊の口から下へと垂れていく。

 幽霊は布の濡れた口のあたりをもごもごさせる。ちゅうちゅう、と音をたてる。布に染みたコーヒーを吸おうとしているようだった。透けないていどには厚手の布なので、直接コーヒーが口へ届かないのだ。

 そもそも布越しではなくて、布のなかで飲み食いすれば衛生的だとおもうのだけれど、指摘してもやはり幽霊は憮然とするだけだ。

 ちゅうちゅう、と意地汚く布を吸いながら、幽霊は「夜はなにをするのか」と質問してきた。

「つまらないよ。家に帰って、部屋着に着替えて、ベッドに入って寝ようとする。でも、寝られずに朝まで起きていて」

 幽霊にはいわないこと。低い天井を見上げているときの、胸できゅうと鳴る不安な気持ち。深夜徘徊の途中でコンビニで買い食いする、値引き札のついた菓子パン。だれとも、なにともすれちがわない路地。

「なにもしない」とわたしはいう。

「ですか」と幽霊はうなずいてから、「月は?」

 ある。見える。あの、幼稚なまでにまばゆく輝く月。

 あの姿を幽霊に伝えるのは、どうもうしろめたい。

「どうかな」とわたしはごまかす。「部屋のなかにいるとね」

 トン、と床でやわらかい音が鳴った。見ると、幽霊の持っていたカップが転がっている。布からすべって落ちたらしい。ラテがキャラメル色の床にこぼれている。

 幽霊はコップを拾いもせず、また固まっていた。しばらくして、見えない口が開く。

「よふかしすることにしました」



 三条大橋のスターバックスは、夜十時に閉まる。だから、その時間までいられたらいいな、と幽霊は希望を口にする。

 気象庁の予報によると、夏季の日没は七時ごろだ。差し引き三時間、耐えられるか。

 耐えられるわけがない。

 幽霊は日の入りの時間にさしかかると、「ふんッ」などと気合を発してふんばるのだけれど、暮れれば甲斐無く失せてしまう。布のふくらみが瞬時にしぼみ、椅子にだらしなく垂れる。店員がやってきて、無言で布を回収していく。

 気合だけではどうにもならないと幽霊も早い段階で了解した。夜になれば、どうしたって消える。そういう体質なのだ。

 ならば、体質を改善すればよい、と幽霊は考える。消えるのは、おそらく眠気のせいだ。ならば眠気をおさえればよい。ここはコーヒー店なのだから、カフェインにはことかかない。

 幽霊はコーヒーの量を増やす。トールからグランデへ。ラテはカフェインがうすまっているから、といって、アメリカーノを注文する。布の染みが茶色から黒に変わる。垂れると、幽霊らしい不吉な雰囲気をおびる。

 しかし、どんなにカフェインを増やしても、日が暮れると消えてしまうのだった。 

 九月のおわりごろ、いつもよりやや遅れて半地下へ来てみると、幽霊の紙コップに大量の白い粒が積もっていた。

「糖分はカフェインの吸収を良くするらしいんですよ」

 幽霊は木製のマドラーでざらざらと砂糖の山をかきまわす。大量の砂糖が水分を吸い取って、飲み物というよりはかき氷に似たなにかと化している。

 幽霊が例のごとくコップを傾けてコーヒーを飲もうとすると、黒く練られた塊が布に触れもせず、ぼとりと床に落ちた。

 幽霊はしばらくコップを傾けた姿勢のまま固まっていたが、やがてコップをテーブルの上に緩慢な動作で戻す⋯⋯かとおもったら、テーブルに接しかけたコップを握りつぶして、こう漏らした。

「ああ⋯⋯もう⋯⋯」

 そして、布が形を失い、しぼみ、椅子からずり落ちて、黒い砂糖の塊をつぶした。

 今日の日の入りは、六時四分。だんだん、夜が長くなりつつある。 

 店員が来て、布を回収していく。布の端についていた砂糖の塊に触れてしまい、露骨に不快そうな顔をした。お連れ様の汚した床やテーブルはあなたが掃除してください、と注意をする。

 そういわれると、罪悪感めいたものが湧く。片付けを手伝った。

 家に帰って部屋着にも着替えず電気もつけず、ベッドに身を投げ出す。眠れそうな予感がする。目を閉じる。眠れない。

 寝返りをうって窓を見ると、月が出ていた。秋の寒風に洗われた青白い半月だ。消失した直後の幽霊の布に似ている。

 夜、消えているあいだの幽霊はどこにいるのだろう? 

 出会って間もないころ、なぜ店の外へ出ないのか、と幽霊に訊ねた。「幽霊は場所に憑くものだから」と返ってきた。

 でも、ヒトに取り憑くのもいるだろう、と重ねて問うと、「いるんじゃないんですか、どこかには」とあしらわれた。

 そのときはずいぶんてきとうな幽霊もあったものだとおもったけれど、もしかすると、場所に憑いていないときの幽霊はヒトに憑いているのかもしれない。

 たとえば、わたしに。今ここに。

 わたしは部屋のくらがりに何度か呼びかけてみる。

 応答はない。

 時計を見ると、十時をまわっていた。十二分。冬が近づくにつれ、眠れないなとおもう時間が増えていく。



 十一月に入ると、日は五時より前に暮れるようになる。

 わたしが半地下へ降りる時間には、幽霊は布だけ残して失せてしまっている。

 わたしは、お茶のカップを持って立ったまま、からっぽの布と悪戦苦闘している店員をながめていた。幽霊の布は厚くて重たいわりにやけにひらひらするから、扱いにくいようだった。

 床にはグランデのコップが落ちている。幽霊が注文したアメリカーノだろう。コップから漏れでる黒い濁りが、半地下のキャラメル色の床を浸している。なおも、うすく、拡がりつつある。

 しかし、床全体を冠水させるには足りない。夜には満たない。

 店員に声をかけた。

「それ、持って帰ってもいいですか」

 ふりむいた店員は奇妙な表情をしていた。

 ちょっと待ってください、と店員は首からぶら下げたスマホでどこかにかけて、だれかとやりとりを交わす。スマホを切ると、ひとこと、「いいですよ」と告げた。「重いですよ」とつけくわえる。

 手渡された布は、たしかに予想していたより重い。

 黒々コーヒー染みには、まだ香ばしいにおいが留まっていた。

「ちゃんと洗って明日返してください」と店員はいって、地階へ戻っていく。

 わたしは家に戻り、ベッドの上に座して夜を待った。午後六時の浅く青い夜ではない、本物の夜を。あの店が閉まった後の時間にやってくる夜を。

 時計が十時をまわる。セットしていたアラームが鳴る。

 部屋の電気を消し、幽霊の布を頭からかぶった。

 真っ暗だ。

 その白い表面にあらゆる光を吸っているのかとおもわれるほどに、内側の闇は濃密だ。息もすこし苦しい。こんなに暗いなかにずっといるのなら、夜に焦がれる必要はない気がする。幽霊がおもうほど、よふかしとは愉しいものではない。

 顔をあげる。顔全体に布がまとわりつき、息苦しさが増す。しかし、見える。暗くて近い空の果て、わたしの真上で真白くぼんやり浮かぶ月がある。「なんだ、あるじゃないか」とわたしは手を伸ばすが、つかめない。届かない。姿勢を崩して、ベッドに崩れおちてしまう。もたついているあいだに、月は上方へ遠ざかっていき、やがて彼方へと消失した。

 そして、一切の光源がなくなり、どこからか久しく忘れていたまどろみが押しよせてくる。

 眠りに落ちながら、見えたじゃないか、あったじゃないか、とわたしは繰りかえる。夜と、月と、おまえ。

 明日、はやめに三条大橋へ行って、幽霊に教えてやろう。

千葉集(ちば・しゅう)

亀岡市在住。第十回創元SF短編賞宮内悠介賞受賞後、各種媒体で小説やエッセイなどを執筆。近作は『京都SFアンソロジー:ここに浮かぶ景色』(Kaguya Books)に寄せた短編「京都は存在しない」など。主に動物などを主題にした作品を書いている。ブログ「名馬であれば馬のうち」(https://proxia.hateblo.jp

物語の余韻を、ご自宅で。

この作品は、TOKI herb teaのブレンド「22:12 starry spice」の時刻からインスピレーションを得て書き下ろされました。ハーブティーを飲みながら、物語の世界観にもっと浸ってみませんか?

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