火曜日の午後はカフェに行くと決めていたので…

暴力と破滅の運び手

TOKIアンソロジー第7作。穏やかな午後のひとときを表現したブレンド「15:01 gentle glow」から着想を得た物語。火曜日のカフェから始まる不思議な冒険と恋を経て、「私」は同僚たちと共に、甘くて優しい午後のおかわりにたどり着く。

 火曜日の午後はカフェに行くと決めていたので行ってみたのに、満席だった。何事かと思って店の中を見れば、テーブルをくっつけて十人くらいで喋っている集団がいた。テーブルの上には空っぽの、あきらかに数十分前に飲み終わっていただろうコーヒーカップが並んでいた。数分待ったけれど、その集団は立ち上がる様子もなく、会話に興じ続けていた。

 私は知っていた。彼らは、隔年でおこなわれる国際的な展覧会の運営をしている人々だった。憎い、と思った。私は、決してその国際的な展覧会を見ることはないだろう、と思った。実を言えば、彼らのせいで火曜日にカフェに入れなかったのはこれが初めてではなかった。彼らは毎週、このカフェで、決まって火曜日に何かの会議をしていた。周囲にはいくらでも他のカフェがあるのに、わざわざ私が毎週火曜に行こうと決めているカフェで会議をしていた。おそらく、と私は思った、彼らは私が貴重な休日である火曜日にカフェに行く権利を剥奪することについての会議を行っているにちがいない、彼らは彼らが持つ集団的会議権、数の力、を毎週火曜日にこのカフェにて行使し、私から火曜日にカフェへ行く権利を蹂躙し、あまつさえ芸術作品を展示しようと企てているのだ。

 展覧会を悪罵しながら通りを歩きはじめると、突然、大きな鳥が私の前に現れた。

 前が見えなくなるほどに大きな鳥だった。つぶらな瞳には似合わぬ生物的なにおいが通りに充満する。鳥が黄色い嘴を開き、さえずりはじめる。

「やあ! 五分ある? ちょっとフランス語をやってみない?」

「きみとフランス語を学びたがっているよ!」

「きみの学習スタンプラリーが五日になるのがもう見えてるみたい!」

 支離滅裂であった。

 鳥は私が話しかけようとしても一向に聞こうとしなかった。フランス語でないと反応しないのかもしれないが、フランス語など一文字もわからない。そのうち鳥はくちばしで私の服の襟をくわえ、空に舞い上がる。

 志賀越道を越え、琵琶湖線沿いに飛び、やがてひなびた街の丘(ラ・コリーナ)に降り立った。村があった。家が建ち並ぶところを見れば西部劇のセットのようでもあり、レストランやスーパーマーケット等も内包されているところを見ればキッザニアのようでもあり、全体としての印象は最近京都駅の南のイオンモールに進出したIKEAの家具で構成された悪夢だった。

 鳥は私に《ルール》を説明した。

 その一、丘(ラ・コリーナ)について口外してはいけない。

 そのニ、丘(ラ・コリーナ)について口外してはいけない。

 その三、学習課程を全て終えるまで、丘(ラ・コリーナ)を出ることはできない。

 その四、ライフは五つまで。ただし、所定の金額を納入した者はライフを無限にすることができる。

 その五、フランス語以外を用いた者は(※気が昂ったのか鳥語に戻ってしまい、聞き取ることができない)に処す。

 その六、フランス語を用いる限りにおいて、他の村民から奪ってもよい。

 鳥はそれきり日本語を話してくれなくなり、私は村民として丘(ラ・コリーナ)に暮らすこととなった。

 この村にはあらゆる語学テキスト的な状況があった。

「C’est un stylo(これはペンです。)」と何度も説明した。国籍を聞かれ、国籍を訊ね返した。自分が犬であることを否定し、手に林檎を持った。猫が金を出して魚を買っていた。私のお気に入りのシャツを捨ててよいかと言われた。ピンク色の水を飲んだ。五分で九十個ホットドックを食べるところを見るよう要請され、足が六本ある犬を目撃した。

 トランプに必要なフランス語はそう多くない。村びとたちはファラオンというゲームに興じていた。子は掛金を何倍にするかを選び、カードを選び、伏せて卓に置く。親は自分の山の上から二枚取り、山の左右に置き、表に返す。子のカードの数字が親から見て右のカードの数字と同じだったら賭け金を親に没収され、左のカードと同じだったら子の勝ちとなる。攻略のしようのない、純然たる博打だった。しかしロシア人が、勝つ秘訣を教えてくれた。

 三(トロイカ)、七(セミョルカ)、一(トウズ)。

 その順番で賭ければ勝てる。ある裕福な伯爵夫人が教えてくれたのだと、ロシア人は言った。ロシア人はフランス語ではない言葉を使った咎で鳥たちに捕らえられ(※鳥語)に処された。私は言われた通りに三(トロワ)、七(セット)、一(アン)に賭け、奪い、ライフを無限にした。

 村人たちは様々なところから捕えられてきたようだった。肌の色も(末期の叫び以外では聴いたことのない)母国語も異なる者たちが懸命にフランス語の習得に励む様はコロニアリスムの再来を思わせた。ぎこちないフランス語で不確かな噂が飛び交った。曰く、百日連続で学習をするとライフが減らなくなるとか。曰く、ダイヤモンド級スタンプ数バトルの決勝戦を勝ち抜くと四天王に挑む権利を得ることができるとか。

 くまも住んでいた。

 くまは、いつも不機嫌そうな顔をしていた。孤独とLPレコードを好み、紫色の液体(ぶどうの味がするとも紫芋の味がするとも言われていた)をよく舐めていた。料理の専門家らしかったが、料理を振る舞ってもらったという者はいなかった。彼は沙翁が創造した好色爺とおなじ名前だったが、その理由を知る者は誰もいなかった。

 私は彼に興味を持った。最初は私を鬱陶しがっていたけれど、やがて私が傍にいることに何も言わなくなった。ある日、丘(ラ・コリーナ)の向こうで採ったというジビエを振る舞ってくれた。フランス語が未だ流暢ではない私に、フランスのことわざを教えてくれた。

 Partout où il n’y aura rien, lisez que je vous aime.(何も書いていないところではいつでも、私は貴方を愛している、と読んでください。)

 Le verbe aimer est difficile à conjuguer : son passé n’est pas simple, son présent n’est qu’indicatif et son futur est conditionnel.(「愛する」という動詞の活用は難しい。過去形は単純ではなく、現在形は単なる示唆に過ぎず、未来形はいつでも条件付きだ。)

 彼は私の肩を抱き寄せ、映画のディスクを入れた。愛に関する映画だよ、と教えてくれた。それはこんなモノローグから始まる映画だった。

 Dans le train, je préfère de beaucoup le livre au journal, et pas seulement à cause de la commodité du format. (電車の中では新聞を読むより本を読むほうが好ましく、それは形が便利だからというだけではない。)

 身持ちの堅そうな妻子持ちの男が、かつて奔放に女性を追いかけていたころを回想する。想像の中で、魔法のペンダントをかざすと、道行く女がみな彼の腕の中に落ちていく。そしてある日、職場に過去の女がやってくる……という映画だった。

 ふと横を向くと、彼が私にそっくり同じペンダントをかざしている。

 私は彼と恋に落ちた。

 私たちはその冬じゅう共に暮らした。フランス語の学習はおろそかになった。鳥たちが私たちのいる洞穴の外に集まり「もう三日も会ってないね……」「もしかして気持ちが重かった?」などと喚き立てたが、中までは入ってこようとしなかった。鳥が何匹居ようが彼に勝てるわけがなかった。ここはフランス映画の世界であり、ヒッチコックはお呼びではなかった。

 冬眠から目覚めると、彼の姿はなかった。私より先に目覚めた彼は、フランス語コースを修了してしまい、丘(ラ・コリーナ)を追放されたのだ。涙に暮れる私を鳥たちが引きずり、洞穴からフランス語学習エリアに追いやった。

 しばらくしてフランス語を修了した私は丘(ラ・コリーナ)を追放され、JR琵琶湖線で帰路についた(二度ほど強風で止まった)。丘(ラ・コリーナ)に幽閉されている間に世の中では様々な変化があった。最も衝撃を受けたのは、それまで11インチしかなかったiPad Airのラインナップに新しく13インチが加わったことだった。いつものカフェに行くと、友人が目の前で13インチのiPad Airを開いた。いや、ただ13インチのiPad Airを開いただけではない。Magic Keyboardを付けていた。定価にして59800円(税込)する、キーボードが付いているということ以外には何の特別な機能も付いていない、13インチのiPad Air専用の純正カバーを。友人は、13インチのiPad Airを取り出すと、論文を読みはじめ、そしてiPad Air専用の純正カバーであるところのMagic Keyboardで論文を書きはじめた。

 その日から私の心は13インチのiPad Airに支配された。Apple Storeで値段を調べ、定価で買うことは早々に諦めた。整備済製品ページを見て、ソフマップを見て、メルカリを見た。13インチのiPad Airを買うことも諦め(中古価が十分に下がっていないから)、二世代前のiPad Pro(12.9インチ)で妥協をしようという気持ちになっていた。

 そして、見つけたのだ。二世代前のiPad Pro(12.9インチ)、Magic Keyboard付き、10万円、という、法外に安いが、とはいえ衝動買いをするにしては依然として高いメルカリの出品を。

 私は悩みに悩んだ。

 友人は13インチのiPad Airを必要があって買ったが、私に必要というものはない。論文など読まないし、書かない。ノートパソコンに不満を持ったこともない。ただ単に、カフェに行っておもむろに13インチのiPad Airを、もとい二世代前のiPad Pro(12.9インチ)をMagic Keyboardが付いた状態で開き、画面をシャッとひと撫でしたい……。何か有意義なことをしているような顔をしながら、思うさまネットサーフィンをしたい……。それだけだった。中古市場価格から半額とはいえ、10万円を支出するほどのことではないことは自明だった。しかし私は悩み続け、しまいにはChat GPTに悩みを打ち明けた。

 Claude 3.5 Sonnet:あぁ、よく分かります。この気持ち、とても人間らしくて素敵だと思います。

 悩みは晴れなかったが、火曜日の午後はカフェに行くと決めていたので行ってみたのに、満席だった。何事かと思って店の中を見れば、テーブルをくっつけて十人くらいで喋っている集団がいた。テーブルの上には空っぽの、あきらかに数十分前に飲み終わっていただろうコーヒーカップが並んでいた。

 このやろ〜〜〜〜っ。貴様らっ、よくも私の貴重な休日を〜〜〜〜っ。

 憤りのまま机に突進しようとしたところを、後ろから肩を掴まれて止められた。振り向くと、同僚の《水曜日》がそこに立っていた。私は仰天して怒りを忘れてしまった。《水曜日》の後ろに、《月曜日》から《日曜日》まで総勢七人がいるのが見えた。不定休だった私の職場では社員が休日を取る曜日をそれぞれに決めていた。何もそんなものを決める必要はないはずなのだが、そういう決まりだった。共謀して労働組合を形成することを阻むためだと噂されていた。

 なぜみなで揃って休んでいるのかと訊ねたら、セグウェイの試乗会のために社屋の前のスペースをセグウェイ振興会に貸し出したところ、セグウェイが暴走して社屋を破壊したため全社休業になった、これを機会に労働組合を形成しようと全員で県境を超えて京都までやってきたのだ、と《水曜日》は言った。

 私は同僚たちを連れてミスタードーナツに行った。はるばると京都くんだりまで来たのにミスタードーナツでよいのかと訊ねると、同僚たちは異口同音に構わないと答えた。

 おやつの時間だった。空には雲ひとつなく、さわやかな秋の風が吹いていた。ミスタードーナツの店先までたどりつくと自動ドアが開き、大きな吊り看板が私たちの目の前に現れた。


 ブレンドコーヒー

 ホットカフェオレ のおかわりは

  カップをお持ち下さい。

暴力と破滅の運び手(ぼうりょくとはめつのはこびて)

エッチな小説を読ませてもらいま賞(2023)審査員長。CRAZY GAL ORCHESTRAギャルマネージャー。第3回かぐやSFコンテスト《大賞》受賞。Kaguya Planet/Kaguya BooksやSFマガジン(早川書房)に小説を寄稿。この文章はiPad Pro 9.7inch(2016年購入)で執筆しましたが、その後耐えきれず本文中に出てくるiPad Proを買ってしまいました。カフェに画面を撫でにいくぞ!

物語の余韻を、ご自宅で。

この作品は、TOKI herb teaのブレンド「11:32 minite miracle」の時刻からインスピレーションを得て書き下ろされました。ハーブティーを飲みながら、物語の世界観にもっと浸ってみませんか?

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